site infomation

 

学生の頃、日なたで肥えているクローバーを
窓が小さくていつも薄暗いアトリエに持ち帰ってしまっていた。
初夏にかけての明るい日なたが好きな植物だとよく知っているのにもかかわらず。

水が入ったグラスや絵皿にそれを挿しておくと、
いつの間にか天窓からの光が射している方へ茎の向きを変えていく。
ほんのわずかな光でも逃すまいと周りより少しでも明るい方向へ葉をひろげる。

何日か経つうちに、このままでは死んでしまうと感じたのか、
大きな葉を枯れ落として痩せた薄っぺらな葉を新しく作るようになる。
新しく継ぎ足す水をぐんぐん吸い上げて、茎をひょろひょろと高く伸ばしていく。
いつしか、容れ物の縁で体を支えながら光を一心に見つめるように茎を変形させていた。 

ひたすら生き延びるために身体を変貌させる姿に驚く一方で、
なぜ生き延びようとするのかが不思議だった。
自分の中にもそんな欲がちゃんとあるのだろうか、と自問してみたものの、
それを感じているのか、それとも感じたことがあったのかは、
ぼんやりとどこか他人ごとのようでわからなかった。 

ふと、一つの記憶を思い出す。
以前ある事情で自宅のカーテンを開けることを禁じられていた時期があった。
窓から入る光をすべて遮った暗室のような部屋から日中の外へ出かけると、
途端に真夏の陽光で眼が眩んで視界が真っ白になった。

ガラス越しにクローバーの白い根が泳ぐのが見える。
相変わらず直接見つめることができないものを追いかけて、
身体が持つあらゆるものを駆使して生き残ろうとしている。
お腹が空いたら食物を食べ、眠くなったら眠る人間のように。
そんな営みを繰り返し繰り返し注視しているうちに、
生きることの本質とはこういうことなのかも知れないと思うようになった。

1←